令和4年度 相馬農業高等学校 学校いじめ防止基本方針を掲載しました。
福島県立相馬農業高等学校
学校いじめ防止基本方針
部活動
◆運動部
陸上競技部 |
硬式野球部
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ソフトテニス部
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バレーボール部 |
柔道部
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弓道部
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馬術部 |
サッカー部 |
バドミントン部 |
ボクシング部
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相撲部 |
◆学芸部
茶道・華道部
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音楽部
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インターアクトクラブ(IAC)
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芸能活動
◆芸能活動の始まり
相馬農業の郷土芸能の始まりは、昭和3年5月に行われた第6回陸上運動会で、時の校長佐藤弘毅先生が「硬軟両面調和したる人間愛をつくるためには、武道、乗馬、郷土芸能などの趣味、娯楽を与えなければならない」との考えから、余興として郷土芸能を取り入れたところ大衆の大喝采をうけました。
それ以来校訓の「明朗闊達」にちなんで学校教育に郷土芸能が取り入れられた。昔から「相農の大運動会」として当地方の名物行事の一つとなり、今日に至っています。
昭和5年には「宝財踊り」、「野馬追剣舞」が東京の神宮外苑の日本青年館まで上京し公演したという記録も残っています。
◆御神楽 今を去ること二百三十年前、宝暦年間相馬藩は精神的にも経済的にも衰微していました。時の藩主相馬尊胤はこれを建て直すため、各部落に神楽を作らせ部落民を集めて、信仰心を植え付け団体訓練を行いました。鹿島町南柚木に伝わる御神楽で郷土芸能発表の場を清めます。 神楽の構成は「頭(かしら)前半2名、後半3名、笛5名、囃子3名、太鼓1名、世話役1名」です。まずは「通り舞」に始まり「幣束舞」、「御子舞」と続き「乱舞」の後クライマックスの太刀呑み、「継舞」で締めくくります。
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◆田植踊り 田植え踊りは、鹿島区の烏崎に伝わるものを原型としています。この踊りは、「太鼓打ち」・「男勢」・「早乙女」の3つのグループに分かれています。ゆったりとした調子に合わせ、今では見られなくなった、昔ながらの田植えの様子を思い浮かべながら、優雅に踊る柔らかな動きをご覧ください。 |
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◆流れ山踊り 無形文化財に認定されている相馬民謡のうちカンチョロリンを除く3種目を行います。 1 二編返し
二編返しはその時、その場所によって、即時に文句をつくってうたう一種の掛け合い歌であり、二編返しの名は歌の最後の文句を二度繰り返すところからでた名称で、手拍子によくのる明朗な調子は誰にでも親しまれています。
2 麦搗唄
これは労働歌であり、「夜麦」 はこの地方では昔、お盆前に行われていた行事でした。素朴で楽しい歌です。
3 相馬流れ山
この歌は相馬武士の軍歌ともいうべきものであり、相馬野馬追の行事と表裏一体のものです。流れ山踊りはその踊り方に3種あります。
鉄扇踊り 馬上の武士が鞭をふるって荒れ狂う野馬を追い散らす踊り
駒返し踊り 扇を開いて愛馬を呼び返すありさま。
駒止め踊り 愛馬に馬柄杓で御神水与える状態。
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◆宝財踊り 今を去る六百三十年前の昔、南朝の忠臣北畠顕家公が義良親王を奉じて、天然の要塞である霊山に義兵を挙げたが、南風競はず、顕家公は阿部野に戦死し、霊山は遂に落城の悲運に遭遇しました。ここにおいて顕家公の一族である、真野五郎家元等主従13人は、守護神山三大の御神体を奉じ、いずれも武装を解いてあり合わせの道具で変装し、調子おもしろく踊りながら敵の重囲を巧みに逃れて、相馬江垂の地に落ち延びました。 本校の宝財踊りは江垂にある日吉神社の踊りを取り入れたものではありますが、元来7人の踊りに3人の徳川時代の東海道道中姿を取り入れて10人としてあります。この踊りには通称「ばくち打ち」と呼ばれる余興がつきます。「宝財踊り」が進行していく前で何かに扮装した2人がひょうきんな振り付けで踊って観客の笑いを誘います。
例えば座頭に扮した相手役を転がしたり、履き物を隠したり、タバコを吸う、酒を飲む等の演技をしてお互いに冷やかしたりします。このアドリブ的な演技が観客を魅了する演技ともいえます。
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平成27年9月15日より
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